「世界は、意外なほど精巧な歯車で回っている」 そう言ったのは、昔馴染みの時計職人だったか、あるいはどこかの小説の登場人物だったか。今となっては判然としない。 ただ、今朝の僕の目覚めが悪かったことと、窓の外で不機嫌そうに揺れている街路樹の枝には、おそらく何らかの因果関係がある。そんな気がしてならない。
人生には、どうしても「帳尻を合わせるための何か」が必要だ。 例えばそれは、読みかけのまま伏せられた本の続きだったり、昨日買い忘れた洗剤のストックだったりする。そして、今の僕にとってそれは、透明な光を孕んだ一杯のコーヒーだった。
キッチンに立ち、新しく届いたエチオピアの豆「ケルー シャンタウェネ」を挽く。 標高1,900メートルを越えるベンサ地区、シャンタウェネ村の赤褐色の土壌で育ったというその豆は、ミルの中で小気味良い音を立てて砕けていく。
お湯を注ぐと、豊かな柑橘の香りが立ち上がった。 それはまるで、朝の光を瓶詰めにし、そこに一滴だけ花の蜜を垂らしたような香りだ。
一口含む。 「凛としている」という表現が、これほど似合う液体も珍しい。やや硬さのある質感が背筋をすっと伸ばしてくれるが、その直後にやってくるマーマレードのような甘酸っぱさとレモンティーのニュアンスが、強張った肩の力をふんわりと解いていく。 不思議なものだ。上白糖のような穏やかな甘みへと移り変わる頃には、今朝の不機嫌な目覚めの理由なんて、もうどうでもいいことのように思えてくる。
このコーヒーを生産している「タリク・カレ」の人々は、高品質な豆を育てるだけでなく、その収益で地元の子供たちに学用品を贈ったり、雇用の場を作ったりしているという。 遠いエチオピアの地で誰かが誰かを助けようとする意志が、巡り巡って、今ここで僕の「一日」の帳尻を合わせている。 そう考えると、世界はやっぱり、案外悪くない仕組みで繋がっているらしい。
飲み終えたカップの底から、黄色い花の香りがかすかに漂った。 僕は読みかけの本を手に取り、窓辺に椅子を寄せる。 不機嫌な街路樹の枝も、今は少しだけ誇らしげに揺れているように見えた。
Luz Coffee & Press Specialty Coffee, Tea & Books 群馬県高崎市末広町33-1